ジュリアン有生の「徒然なるページ」

6月15日

 

第35回  「ラブリーポニー」

 

ラブリーポニーって、何でラブリーポニーなの?と思っていらっしゃる方も多いと思う。おそらく、このホームページのトップ画面を見るまでは、「子馬」と思われる方もいらっしゃる事だろう。で、トップページの「子犬」の絵を見て、「あぁ、犬だったのか・・・」となるのだろう。

そう、ポニーはジュリアンが昔飼っていたマルチーズ犬である。

彼は、マルタ島原産で、ご両親犬様は名古屋にお住まいで、3人兄弟の真ん中の子として愛知県内で誕生した。彼の家系図(血統書)によると、彼のご両親も、ご先祖様もご親族のお犬様方は皆様王冠マーク付きで、おそらく彼のお兄様や弟君も成長後、王冠が付いたに違いない。が、彼はバイヤーに売り飛ばされ、単身大阪へ運ばれ、ジュリアンの実家に68,000円で買われ、おかっぱ頭にサマーカットというお姿で、おおよそチャンピオン犬とは程遠い生涯を歩む事になったのである。彼は、生まれた時、背中にレモン色の毛のカタマリの部分があり、それがコンクール犬にはなれない致命的欠点として判断され、普通の民家に飼われている「おかっぱ頭犬」という生涯になってしまったのである。

彼の本名は「アロー・オブ・チャーム・リューホー」というらしいが、そんな長ったらしいお名前が似合うようには育ててもらえず、「ぽに吉」等と呼ばれて皆からからかわれておりました。

ぽに吉とジュリアンはいつも一緒で、ジュリアンの帰りがどんなに遅くても、ご飯も食べず、暗い玄関でジッとジュリアンの帰りを待ってくれているような忠犬で、かわいそうなので、よっちゃんが毛布を玄関に敷いてやり、電気を付けてあげたりしていた。

強い強いジュリアンのお兄ちゃまは、高校卒業後十数年程、ジュリアン達とは離れて暮らしていたので、ぽに吉とジュリアンは姉弟のように暮らしていた。食事も一緒、お部屋も一緒、昼寝をする時も、おやつを食べる時も、いつも一緒だった。ジュリアンが部屋で1人で泣いていると、その前足をジュリアンの足の上にそっと置き、小首をかしげてくれた。一体どれ程の涙の雫が彼の黒く小さな鼻の頭をぬらした事だろう。散歩中は、いつもジュリアンを振り返りながら歩いていた。2週間に1度の美容院が大嫌いで、お迎えが来ると捕まえるのが大変だった。

1日の大半の時間を一緒に過ごしていたので、ジュリアンとぽに吉はいつしかワンセット感覚になった。

平成2年2月、ジュリアンの腕の中で、ジュリアンの姿をしっかりと映していたその瞳は、開いたままジュリアンを映さなくなった。3キロの身体は、突然ずっしりと重くなった。

14年の彼の寿命は尽きた。

この瞬間が、実はこれまでのジュリアンの人生で一番悲しい瞬間だった。

 翌日、動物霊園に連れて行き、お墓に埋葬してもらった。

もっと一緒にいたかった、そんな思いを抱えたまま時が過ぎた。

そして、ジュリアンが占い師としてデビューするにあたり、過激な激戦のこの占い業界で、またジュリアンを守り、一緒に戦ってもらえるようジュリアンはジュリアンとぽに吉の名前を一体化させたかった。もしもジュリアンが有名にでもなれれば、その時はぽに吉も有名にしてやりたかった。

そして誕生したのが「占いハウス ラブリーポニー 鑑定士 ジュリアン有生」であった。

グランドクロスという、神様から沢山の宿題を出されて生まれたジュリアンの私生活はいつも大変な困難の連続である。ジュリアンは本名でいる時より、ジュリアンでいる時の方がずっとずっと幸せだ。
これもぽに吉のお陰かもしれない。

これからもジュリアンはぽに吉と共に頑張っていこうと思っている。いつか世界中の人が「ラブリーポニーのジュリアン有生」を認知してくれるくらいになれるまで・・・

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