もしもこの世に「占い」がなかったら、という事を考えられた事はお有りだろうか。そして、古今東西、民族・宗教を問わず「占い」が存在するのはなぜか、という事も。
それぞれの占術法において、それらの誕生の起源を載せた書物は数多くあるものの、それらは現実問題としての「占い」の歴史的歩みであり、「なぜ誕生したのか?」という「占い」誕生における背景的要因に関して書かれてある書物はあまり見かけないのが事実である。
私が考える「占い」誕生の背景的要因。
それは、<大宇宙の神秘>という名の神から「生」を受け、この世に誕生した者には、「苦難を乗り越える宿題」が多かれ少なかれ添付されており、その宿題をこなす為に、人は悩み、苦しみ、泣き、ある者は叫び、ある者は自ら「生」を放棄してしまう。そんな中、人は、救いを求め、天を仰ぎ、天空に輝く星を眺め、長い長い時間の流れの中で、季節ごとに移りゆく星の姿と、己の人生との関わりを発見するに至ったのだろう。
現代に繋がる「占い」の原石の誕生である。
「占い」、それは、人生に於ける快楽との共存ではなく、苦悩との共存で今日まで存在し続けるに至ったのである。出来るだけ悩まなくて済むように、出来るだけまわり道をしなくて済むように、先人が残してくれた幸福の道しるべ、それが「占い」である。
私は、西洋占星術とタロットで鑑定をしているが、西洋占星術とて、初めから今の様に統計学上の軌跡があった訳ではない。長い歴史の中で、人々の悩み・苦しみと共にその統計は蓄積されていったのだ。今現在も、西洋占星術は進化し続けている。様々な技法・解釈が発表され、まさに日進月歩の勢いで私達の未来をスケルトンにするべく研究が進められている。
そんな中、私が「鑑定をご依頼される方」に心に留めおいて頂きたいのは、「占い」と上手に付き合っていく事が大切だという事だ。
「占い」を自分の人生の軸にしてしまい、自分の人生を「占い」に翻弄されてしまうという状況は、あってはならない状況だ。が、こんなに素晴らしい贈り物の存在を知りながら、それを無視して生きていくというのも、あまりにもかたくなだ。
現代の占星術の的中率の高さゆえ、気が付くと何でも「占い」に頼って決定してしまう人は多い。
私の知人で、ある占い好きの方がおり、毎日天文暦を見ては星の移動ばかりを気にし続け、「今日は月が○座だからあまり良い事はないだろう」とか、「明日から火星が△座に入るから車に乗るのは控えよう」とか、そんな事ばかりで日々を過ごしていた人がいた。挙句の果てに、「来年の○月で、木星が移動すると彼に振られるから、その前の月にこちらから別れを告げようと思っている」等とまで言い出した。
こういった状況を私は肯定する気にはなれない。
私も曲りなりにも占い師である。星の移動をまったく気にしないという事はない。だが、星があって自分があるのではなく、まずは我有りき、が大切である。星に振り回され生きる事は、本末転倒である。占星術を学んだり、鑑定を受けたりするだけでは、幸せにはなれないという事をしっかりと心に留めおいて頂きたい。自らの力で幸せを掴もうとする努力、それがあってこそ、「占い」は生きてくるのだ。
西洋占星術はよく当たる。これは、これまで1度でも鑑定を受けた事のある方ならご存知だと思うが、その的中率は素晴らしいものだ。
そして、タロットの神秘。ただの紙切れと侮れない不思議の世界。他人の心の中を映し出す魔力。未来を告げる神秘の絵札。
これらの魅力にとりつかれ、鑑定士となり、多くの方々を鑑定してきた私が今大切だと思う事は、「占い」との上手な付き合い方を、それぞれが見出す事だ。
先人が残してくれた最高級の贈り物「占い」の存在を認知している以上、これを無視して生きるより、共に共存して生きていく方が望ましい事は、あえて言うまでもない。
今年(2002年)4月、「占なび」がスタートした。これまで、あまり対面鑑定と縁が無かった方々も、「占なび」の登場で占いが身近なものになる時代がやってきた。
先人が残してくれた贈り物「占い」と私達とを結ぶ「パソコン」という現代の最新鋭の機器。この恵まれた環境を通して、一人一人が幸福への階段を一歩ずつ上って行く足がかりになる鑑定が出来れば、鑑定士としては、幸福の極みだろう。
これからのますますの「占なび」の発展と共に、幸福を実感できる方々が増える事を願いながら、私はこれからも鑑定士として頑張っていきたいと思っている。
ジュリアン有生
|