ジュリアン有生の「徒然なるページ」

第55回 ジュリアン、占い師までの軌跡

2003年11月2日

 

第2章  小学校3年生の時の恥ずかしい出来事

ずっと「不幸感」を感じ続けて、幼稚園の年少組の時には、「死にたい」と毎日思うようになり、車に飛び込んだり、高いビルから飛び降りたりと自殺方法を考えていたような子だった。

でも、死ねなかった。公道を走る車を見続けたり、屋上に上れるビルを探してみたり、子供なりに「死ぬ方向への努力」はしてみたものの、やはり死ねなかった。

しかし、私は、この年齢の割りに暗すぎる自殺願望を、俯瞰的にもう一人の自分が自覚していて、私は周囲の人達、親兄弟・友人・ご近所の人達に絶対自分の心の闇を知られてはいけない、と感じていた。だから私は、周囲から見ると、普通の子だったし、むしろ明るい子と形容される子供だった。

今の私がそうであるように、世間的にはあくまで「幸せな人」を、この頃から演じていたのだ。

そして、死に切れないまま、小学3年生になった。

ある時から、私は「頻尿」になった。お手洗いへ行っても行っても、まだ行きたくなるのだ。授業中でも、それは我慢できなかった。休み時間には必ずお手洗いに行くのに、授業が始まって10分と経たないうちに尿意が催してきて、それは我慢できないものだった。

その都度、手を上げて先生にお手洗いに行ってもいいか、という許可をもらい、静まり返った教室を、クラスメートの白い視線を浴びながらお手洗いへ向かうのだった。

恥ずかしかった。

ある時、まったく知らない他のクラスの女の子が二人で私の所へやってきた。

「なぁなぁ、アンタ、いっつも授業中トイレいく子やろ?アンタ、おしっこ黄色い?」

相手が何を言っているのか分からず、言葉を返せないでいると

「アンタのおしっこ、赤いんちゃうの?それ、おしっこちゃうねんで〜。あんたなぁ、もう生理になってんねん。」

私は、何も言わずその場を離れた。

家に帰り、母に聞いた。「セイリってなに?」

その後、担任の先生に呼ばれ「あなたは、他の生徒の気が散るから一番後ろの廊下側の席にするわ。もう先生に言わなくてもトイレ行っていいから。。。」と言われ、それから私は3年生が終わるまでずっとその指定席に座っていた。

どうして頻尿になってしまったのか、当時は私はあまりよくわからなかったが、母の話では1〜2年生の頃の担任の先生はよくかわいがってくれていたけど、3年生の時の担任の先生はあまり私の事は気に入っていなかったらしく、母が懇談会へ行くと「お宅のお嬢さんは、掃除当番のときでもちっとも掃除しないし。。。」等と素行というか日頃の生活態度についてきつく言われ、私も相当そのことで母から叱られた後からそうなってしまったらしい。私は掃除当番の時は1〜2年生の時の担任の先生が誉めてくれていたようにきちんとやっていた。私は母に叱られた時、その事を必死で母に訴えたものの、母は担任の先生がウソを付くはずはないと、私を信じず叱り付けたらしいのだ。その頃から頻尿になってしまったらしい。

おそらくそれ以外でも、チクチクとしたイジメが学校ではあったのだろう、と今は推測している。

4年生になり、担任の先生がまた交代した。

気が付いたら頻尿は治っていた。

しかし、私の中での「不幸感」は、いっそ募っていっていた。

 

 

 

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